甲斐武田家最後の武将 武田勝頼公

武田勝頼公は武田信玄公の四男として生まれました。

母親は信玄公の側室であった諏訪御料人(湖衣姫)です。

勝頼公は家督相続後の東美濃出兵では織田方に次々と勝ち、信玄公も落とせなかった高天神城を手に入れ、ついには新府城を築城するなど、大きな功績を残しています。

しかし、天正9年(1581)高天神城の戦いで徳川軍に敗北したのをきっかけに、諸国から武田家への攻撃が激しさを増していきます。

そのため天正10年(1582)に武田征伐として攻め入ってくる連合軍の前に抵抗することができませんでした。

勝頼公は未完の新府城に自ら火を放ち、攻め寄る軍勢から逃げようとしましたが、ついには田野の地(甲州市大和町)で信勝公(嫡男)や北条夫人(正室)とともに自刃します。

これによって戦国時代の名門甲斐武田家は滅亡しました。

この勝頼公とその一族の霊を慰め遺徳を偲ぶために開催される祭りが「甲州市ふるさと勝頼公まつり」です。

令和7年度 第60回甲州市ふるさと武田勝頼公まつり

※詳しくはホームページをご覧ください

https://www.city.koshu.yamanashi.jp/docs/2025022700033/